【業】困難で耐え難いもの。だからこそ、超える価値がある。

困難から逃げる人は、
成長しない。
今の自分に出来ること、
それ以上のことをしないから。
でも困難から逃げない人全てが、
成長できるわけではない。
それはただのスタートラインでしかない。

複雑で、ギザギザしたもの。一筋縄ではいかないもの。

「業」という漢字は、釣鐘などの楽器を吊り下げる台、また台と台の間に渡した横木のことを指す。
その「業」というものには、楽器を取り付けるための留め具が作り込まれており、またそれらは複数取り付けられるようなものだった。
結果、その「業」の表面は、その金具でデコボコ、ギザギザした形状(シルエット的に)を持つことになったことが、今日の「業」という言葉のもととなった。

現在では「業」という字で思いつく言葉といえば

  • 業務 … 仕事の具体的な内容。務めるべきこと。しなければならないもの。
  • 業(ごう) … カルマ的なもの。自分が背負った責め苦。
  • 業(わざ) … 職人が身につけた、真似のできない技、その成果物のこと。

このあたりだろうか。

いずれも、「簡単ではない」「避けるべきもの」「困難」など、どちらかというと負の感情だったり、何かしら抑うつとしたストレスだとかフラストレーションが連想されるようなものばかりだ。

「業(わざ)」は、とても素晴らしいものとして評価される対象だが、その裏には血の滲むような努力や言葉にできないような困難があったことは、容易に想像できる。

私は、新人のヒヨッコたちに伝授する持論がある。

「作業をするな、仕事をしろ」

私にとって「作業」とは、とても受動的で消極的で、与えられるもの、というイメージがある。そしてそれに従事する人の器は、往々にして小さい。
一方「仕事」は、能動的・自発的な言葉で、自分以外のもの(他者や案件であることが多い)に対して影響をおよぼす(動かす、成功に導く)こと、だと考えている。

したがって、新人諸君にはいつも「仕事をやるべき」と案内するのでが、一つだけ例外がある。

「作業」しかできない人、仮の名としてA氏が居たとする。
どうしようもないくらい消極的な彼は、どう頑張っても仕事(他人を動かすほどのこと)ができそうもない。
だから仕方なく、作業に従事するしか無い。

しかし、作業をひたすら真剣に取り組んできたA氏の成果は、同じ「作業」に従事する誰よりも「品質の高いもの」だった。
この時、A氏の作り出す技術は、もはや「作業」ではなく「業(わざ)」と言えるのでは無いだろうか。

これは、中島誠之助の「いい仕事、してますねぇ」と同義だと思う。

「作業」としての「業」は、面倒くさくて煩雑で、出来ればやりたくないような「業」。
「業(わざ)」としての「業」は、努力を積み重ねてきた、複雑で重厚な技巧としての「業」。

同じ語幹を持ちながら、ほぼ正反対の印象を持つ言葉。
どう捉えるかで、その人物の成長は大きく変わってくるはずである。

我々社畜たるもの、仕事人間であるべきだと思う。
しかし、この論法で行けば、「作業人間」でもよい、ということになる。
もちろん、「技を磨き、新たな業(わざ)を作す(なす)」者として。

あなたの「業」は、どちらだろうか。
明日から、その意識を持つだけでも、その成果は見違えるほど良くなっていくのではないだろうか。

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