【佞】我々社畜の永遠の敵、彼らはきっと「暇な人」

はいすみませんごめんなさい。
口をついて出てしまう。
もうしませんきをつけます。
みんな、私が悪いんです。

女々しい言葉は、相手を惑わす言葉。

人徳のある様子「仁」は、二人の人間が睦まじく話している所を指した感じである。
心酔するほど感じ入り、二人よりそうというその姿は、人徳のある者でこそ、成し得るのだろう。
例えば劉玄徳と諸葛孔明。
この二人も仁の人として、歴史になお残している。

ちなみに、現代ではBLとしか思われない。
きっと玄徳が攻め、孔明は誘い受け。

しかし、このよりそう二人の話の内容が「良くないもの」だったらどうだろう。
嫉妬や復讐など、良からぬことをささやいていたらどうだろう。

それは相手を惑わし、人を陥れる行為である。

それが「佞」。
訓読みでは「おもねる」「へつらう」「よこしま」などがあてられている。
「仁+女」から成り立っている。

なぜ「女」なのか、を説明すると男女雇用機会均等法に触れそうだし割愛するとして、つまるところ
「女々しいこと」
を吹き込むことが、「佞」という漢字になったのだと思われる。

実は私自身、歴史モノ以外で「佞」という字を見ない気がする。
中国三国志モノであり、戦国モノであり
「佞臣(君主をあざむく臣下)」として、むしろ悪役として登場する。

では、現代ではこんなことが無いかというと、いたるところにこの「佞臣」は存在する。

上司にゴマをすってみたり、
人の失敗をいちいち人にチクったり、
陰口を拡散させてみたり。

我々社畜にとっては、「仕事をしない人」は、はっきり言って空気に等しい存在である。
だから、こういった「佞臣」も基本的には無視をする。

しかし、それらの火の粉が自らに降りかかってきたら、どうだ。
日頃から無視しているから事前の対処なんて出来ないし、それどころか炎上した火の消し方すら、検討もつかない。

比較的コミュ障で口下手な社畜は、弁解するごとに泥沼にはまっていく。

結局、泣き寝入りしたり、自分が我慢し、被害も悪名も被ることもしばしば。
いや、誤ることで済むのなら、それはそれでもう良い、とすら思えてくる。
善悪の問題じゃない。真偽もどうでもいい。
ただもう、終わらせたい、という強迫観念に迫られる。

正直、こういう状況に追い込んでくれた相手を、逆に罠にはめて社会的抹殺をしてやろうか、と思うことも何度もある。

だが、私は思うのだ。
仕返しをしたところで胸はすくだろうが、それは連中と同列に堕ちることに他ならない。

我々には、常務を全うする、という最優先事項があるのである。
それこそが、私たち社畜に求められている。

やはり、こういった手合いは、無視するしかない。
そう、諦観にも似た感情によって、私の中の憤りは社畜という闇に飲み込まれてしまうのだった。

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